広島地方裁判所 昭和49年(ワ)829号 判決 1980年2月28日
原告 門田昂
被告 広島県
代理人 有吉一郎 森義則 ほか三名
主文
被告は、原告に対し、一五九万六、二〇九円およびこれに対する昭和四九年一二月一三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
事 実<省略>
理由
一 (争いのない事実)
原告は、昭和三〇年医師免許を取得した医師であつて、昭和三七年から福山市において門田整形外科病院を開設し、爾来同病院の院長として医療に従事していたこと、被告の民生労働部保険課職員が、昭和四六年、二回にわたり原告の病院で受診した患者に対して実態調査を実施したこと、その期間は、第一回目が同年一〇月二〇日と二一日の二日間であり、第二回目が一一月二五日から同月二七日までと、同年一二月一日から同月三日までの間であつたこと、患者に対する実態調査は、無制限に行われてよいものではなく、一定の限度があつて、特に調査の対象となつた医師の名誉、信用を損わないように配慮しなければならず、また医師の治療方法にまで介入してはならないものであること、原告が昭和四七年三月七日保険医登録抹消届を広島県知事に届出、これに基づいて同年四月七日同知事が原告の保険医登録を抹消したこと、同月一日原告の開設した医療機関(病院)が閉鎖されたこと、被告の保険課医療係長大本行男に対し、原告から患者早川学のレントゲンフイルムの返還請求がなされたこと、および医師には患者のレントゲンフイルムにつき、保存義務があること、はいずれも当事者間に争いがない。
二 (争点についての判断)
1 第一回実態調査に至るまでの経緯
<証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。
(一) 原告は、昭和三七年に門田整形外科病院を開設したのであるが、昭和三九年一二月、昭和四〇年七月、昭和四一年一二月と既に三回にわたり、健康保険法四三条の七(国民健康保険法四一条も同趣旨の規定)に基づく個別指導を受けており、右はいずれもカルテの不備とか、保険診療のやり方に反する取扱いをしたことが問題となつた事案であること。
(二) 福山市近辺の地方新聞である夕刊新芸備が、昭和四五年六月から七月にかけて、原告の経営する門田病院が、「水増し治療?門田病院、県衛生部が調査へ」、「被害者続々と名乗り、入院しないのに入院料、疑惑深まる門田病院」、「反響広がる門田病院、保健所実態調査急ぐ」などの見出しで、原告が不正診療を行つているという趣旨のキヤンペーンを張つたこと。
(三) 原告は、そのころから、福山警察署において、交通事故で入院していた患者の治療費を、保険機関に対し水増し請求し、正当な診療費との差額二〇万円余りを詐取したとの容疑で、被疑者として捜査を受けていたが、同年一一月一七日に至り、右事件は広島地方検察庁福山支部へ書類送検となり、このことは中国新聞に報道されたこと。
(四) 以上のような事情にあつたので、被告保険課としても、原告に対し早急指導をしなければならないと考えていたところ、患者の投書等により、門田病院では日曜日に受診すると保険診療ではみられないとか、傷病手当金の証明を拒否されたとかの事例を耳にしたうえ、たまたま昭和四六年五月ころ、被保険者大橋洋に関し、同人は昭和四五年一一月一二日以降門田病院を事実上退院して職場に勤務していると主張しているのに、原告からの診療報酬請求書によると、同年一二月五日まで入院していたことになつている事実が判明したこと。
(五) 昭和三五年二月に行われた「厚生省と日本医師会及び日本歯科医師会との申し合せ」によると「行政庁が個別指導を行なつたうえ、なお必要がある場合に患者の実態調査を行うこと。」とあり、指導実施前には患者の実態調査を行わないことを申し合せているのであるが、これは絶対的に拘束力を有するものではなく、すなわち、従前から地方行政機関(特に広島県)において広く行われていた個別指導に先立つ簡単な患者調査、例えば入退院の件が問題となつた場合は、当該患者に対して入退院の事実だけ、また注射の件が問題となつた場合は、当該患者に対して注射の事実だけを、立会人も置かず、且つ、調書も作成せずに聴取することまで禁じた趣旨ではなく、その程度の事前調査は、厚生省においてもこれを評価し、また各県に対応する地方医師会も指導の効果を上げるためこれを了解していたので、被告保険課は、昭和四六年一〇月二日広島県医師会と協議のうえ、同月下旬原告につき指導に先立ち簡単な患者調査(第一回実態調査)をなすことを決定したこと。
以上の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 第一回実態調査及び原告に対する指導の各内容等について前認定の各事実に、<証拠略>を総合すると、次の各事実を認めることができる。
(一) 被告において第一回患者調査に従事した人員は、前記医療係長大本行男ほか一名の計二名であり、患者二二名につき昭和四六年八月、九月の二か月間における診療費請求分に関する調査を行つたこと。
(二) 調査の程度・方法も、調査員一人が各患者に対して事実の有無につき質問したにとどまり、調書も作成せず極めて簡単なものであつたこと。
(三) 調査の結果、門田病院においては、前認定の大橋洋の件を含み約二〇例の不当と思われる診療費請求のなされていることが判明したこと。
(四) そこで広島県知事としては、健康保険法四三条の七(国民健康保険法四一条)に基づき、原告に対して指導をなすこととし、昭和四六年一〇月二八日広島県医師会館において、被告側が前記大本係長ほか二名、広島県医師会側が藤井康平理事ほか三名の役員が出席して、右指導が行われたこと。
(五) 右指導に要した時間は約二時間であつて、被告側を代表して原告に質問したのは、主として前記大本係長であり、医師会側からは殆んど発言がなかつたこと。
(六) 大本係長のなした発言内容には、原告の感情を極度に刺戟するような不穏当なものがあつたため、原告も非常に昂奮して同係長と激論になつたこと。
(七) 右のように、大本係長と原告の間で相当激しい口調のやりとりがあつたが、結局、<1>大橋洋の件(昭和四五年一一月一二日の入院の有無について)、<2>藤田正勝の件(昭和四六年九月受診の有無について)、<3>四馬孝夫の件(昭和四六年九月二〇日時間外受診の有無について)、<4>早川学の件(レントゲン撮影の回数について)、<5>新家健児の件(右膝治療の有無と初診負担金徴収について)の五点について双方折合いがつかず、後日原告において反証を提出するということで物別れとなつたこと。
(八) 以上のように、右指導は、原告がことごとく反論を加え、自己の非を認める態度を全く示さなかつたことから失敗に終り、その効果がなかつたこと。
(九) その後、原告は、同年一一月二日付で前記五点の疑惑を晴らすため、反証書(<証拠略>と同内容の書面)を被告保険課および県医師会等に送付したこと。
(一〇) しかしそれによつても、被告側の疑惑が晴れたわけでなく、前記のように指導の効果があがらなかつたので、被告としては、原告病院の保険医療機関指定取消のための監査を前提とした患者調査を再度なすことを決定し、県医師会と協議のうえ、第二回の実態調査の実施に踏みきつたこと。
以上の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 第二回実態調査の実施及びその後原告病院を閉鎖するまでの経緯について
<証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。
(一) 前認定のように第二回実態調査は監査を前提としているため、調査担当者一〇名が二人一組で行ない、調査対象人員も八〇名と拡げ、昭和四六年九月、一〇月における診療費請求分につき、大がかりな、且つ、徹底した調査を実施したこと。
(二) したがつて、各患者から事情聴取後は調書を作成し、被調査者に署名押印を求める正式な方法で調査がなされたが、一部では「よくならないのなら、外へ転医したらどうか。」とか、或は「けん引なんか実際はしていないのではないか。」「静脈注射の場合、量はどれ位でどんな注射だつたのか。」というように、門田病院は、治療方法がよくなく、また何か不正をやつているのではないかと、患者らを疑わせるような極めて追及的で、且つ、被調査者をして不快感を抱かさせるような方法で調査がなされていること。
(三) しかして、右調査の結果、原告の診療費請求が不当だと思われる事例が約八〇例判明し、特に前記大橋洋の件については、原告の反論は到底認め難い(すなわち、仮に入院のまま稼働していたとしても、そのような患者に果して入院の必要があるかは極めて疑問であり、そのことは療養担当者規則に違反していること明らかである。)との結論に達したので、被告としては、監査の手続を進め、原告病院につき、保険医療機関取消の申請を厚生大臣に上申すべく準備中であつたところ、昭和四七年二月ころ県医師会側から、被告に対し、原告ともう少し話し合いをしてみたいから手続を延期してほしいとの申入れがあつたので、右手続は暫らく延期されたこと。
(四) そして、その間に県医師会側と原告の間で話し合いが行われ、その結果、原告の方で自発的に保険医を辞退し、当分の間休院した方がよい、そうすれば半年位後には病院が再開できるからとの、医師会側の説得により、原告はこれを了承して昭和四七年三月七日第二回目の指導をうけ、同日保険医登録抹消届を広島県知事に届出たので、これに基づいて同年四月七日同知事が原告の保険医登録を抹消し、これより先同月一日原告において自発的に門田病院を閉鎖したこと。
(五) しかし、保険医登録抹消届出や病院の閉鎖は、外形上は原告において任意になしたように見えるけれども、二度にわたる患者調査の結果、原告に対する疑惑が世間に拡まり、昭和四六年末以降原告の病院で診療を受ける患者数が激減し、病院の経営が困難になつたので、やむなく県医師会側の勧告に従い、不本意ながらなしたものであること。
以上の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
4 以上の総合判断
前記争いのない事実ならび右1ないし3で認定した各事実を更に総合して本件を考えると、
(一) 被告の実施した第一回の実態調査は、法の規定に基づくものであり、且つ原告病院側においてそれを受けるだけの原因が存在していたことと、その程度内容から見て、「厚生省と医師会との申し合せ」の趣旨を逸脱したものではなく、また従来の慣行に従い県医師会の了承のもとに行われたものであるから、これを違法と認めることはできない。
(二) しかし、第二回実態調査は、法に基づき原告に対してなした指導の効果があがらなかつたことから、特に右指導に際し、原告は県当局の指摘にことごとく反論し、激しい口論となつて一向に反省の色を示さなかつたことから、被告としても厳しい態度で、保険医取消のための監査を前提とした患者調査を決意したこと、したがつて、調査対象の患者数は八〇名の多数にのぼり、徹底した調査がなされ、また調査の程度、内容も、極めて追及的で原告の不正を少しでも多く洗い出そうとする態度(すなわち患者らをして、原告が何か不正を行つているのではないかと疑念を抱かせるような質問方法)でなされ、時には医師である原告の治療方法を批判するような口調でなされたことが認められるので、広島県知事が、被告の保険課職員をして第二回目の調査をなさしめたこと自体は適法であるけれども、その程度、方法に若干の行き過ぎがあり、全体として違法のそしりを免れないものと言わなければならない。
(三) そして、右調査に従事した被告保険課所属の職員らは、いずれも公権力の行使に当つた公務員であること明らかであるから、その違法行為により原告に損害が生じた場合は、被告においてこれを賠償する責任があるものと言わねばならない。
5 本件実態調査により原告の蒙つた損害について
(一) 特に、第二回目の実態調査施行後、原告の病院で受診する患者が激減し、そのため病院の維持経営が困難となつて、遂には休院せざるを得なくなつたことは前認定のとおりである。
(二) そこで、右により原告の蒙つた損害額について検討するに、<証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次のように認めるのが相当である。
(1) 昭和四六年の収入減については、被告が責任を負うべき月は、前認定のとおり第二回実態調査開始時期以前においては、被告職員の違法行為は認められないので、せいぜい同年一一月の後半と一二月の合計一月半分のみである。
(2) そうすると、その間に通常得たであろうと推定される原告の収入は、昭和四四年、四五年における月平均収入と対比すると、多く見積つても一七〇万円前後であるところ、<証拠略>によれば、原告は昭和四六年一一月の保険料収入が五九万九、六八四円、同年一二月のそれが四一万九、一一二円であることを自認しており、右一一月分の半分と一二月分を加え、前記認定の一月半の間に七一万八、九五四円の収入を得たことになるから、前記一七〇万円との差額九八万一、〇四六円が、右期間内に原告の失つた得べかりし利益ということになり、これは被告職員が公権力の行使に当つてなした前記違法行為の存在と因果関係のあるものと認めるのが相当である。したがつて原告の主張する昭和四六年分の逸失利益中右金額を超える部分は失当である。
(3) 次に、昭和四七年分の収入減については、本件第二回目の実態調査の結果患者が激減し、病院の維持経営が困難となつたため、県当局の指導に従い、保険医を辞退し、休院せざるを得なくなつたことは前認定のとおりであるところ、右休院の期間は通常六ヶ月であつて、これに休院前の同年一月から三月までの患者激減による収入減を考慮すると、原告主張のとおり同年分の得べかりし利益の喪失は六〇〇万円を下らなかつたであろうことは、十分に推認できる。そして右損害も前記違法の調査と因果関係の存在が認められるので原告の主張する同年分の逸失利益は、これを相当と認める。
(三) 慰藉料について
前認定の各事実に、<証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合して考えると、前認定のようにその方法、程度に若干の行き過ぎがあり違法性を帯びた患者調査により、原告の医師としての名誉、信用が多少傷つけられたこと、そのため、受診する患者が激減して原告の病院を維持、経営することが困難となつて、休院するのやむなきに至り、相当の精神的苦痛を強いられたことを認めることができるけれども、これに対する慰藉料は、本件において別途逸失利益を請求している点を勘案すると、一〇〇万円が相当であつて、三〇〇万円の支払を求める原告の請求は過大に失する。
6 患者早川学のレントゲンフイルムの返還を受けられなかつた損害について
<証拠略>を総合すれば、原告は昭和四六年一一月に前記反証書を送付した際、患者早川学のレントゲンフイルム二枚をその資料として、広島県福山医師会を通じて被告保険課宛別途送付したので、同医師会長猪原修三はこれを上部団体である広島県医師会事務局に送り、被告に交付すべく依頼したのであるが、同事務局の職員大畑耕三は右フイルムを受取りながら、これをキヤビネツトの奥にしまいこんで、遂に被告保険課に手渡すことなくすつかり失念してしまつていたところ、原告からの告訴により広島地方検察庁検察官の調べを受けて、はじめて思い出し、これを探し出して、検察庁に持参したので、検察官より原告に返還しようとしたが、原告においてその受領を拒否したため、ずつと同事務局において右フイルムが保管されていること、を認めることができ、右認定に反する<証拠略>は、前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
してみると、被告としては右レントゲンフイルムの保管につき全く責任がないわけであるから、被告に対してこれを返還しないことを理由とする原告の右請求は、その余の争点につき判断するまでもなく、前提を欠き失当たるを免れない。
7 過失相殺について
更に、前記認定にかかる各事実をすべて総合して本件を考えるに
(一) 被告の実施した第二回実態調査は、その程度・内容に若干の行き過ぎがあり、ために全体として違法性を帯びたものであることは否定できないとしても、右調査を開始したこと自体は、法の規定に基づくものであつて適法であり、また右調査に至るまでの経緯に鑑みると、その原因はすべて原告の保険診療請求に関する不当性に基づくものであり、その疑惑は調査の結果晴れることなく明白に存在したのであるから、原告においてもこの調査を受けたことにつき重大な責任があつたものと言わねばならない。
(二) そうすると、右調査により原告の蒙つた損害の相当部分は、原告自ら負担すべきものであり、その責任(過失)の度合いを、原・被告双方につき彼此勘案すると、原告の責任の方がはるかに大きいので、本件においては、原告八、被告二の割合と認めるのが相当である。
8 被告が負担すべき損害賠償額
前記5においてそれぞれ認定した原告の蒙つた損害額を合計すると七九八万一、〇四六円となるところ、前説明によればそのうち被告は一〇分の二を負担すべきことになるので、結局本件において被告の負担すべき損害賠償額は一五九万六、二〇九円(円以下の端数切捨)ということになる。
三 (結論)
以上の説明によると、原告の本訴請求は、被告に対して、一五九万六、二〇九円と、これに対する本訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四九年一二月一三日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるので、これを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 植杉豊)